白山登山(単独)                     2003(05/04-05)

   
4日  
AM5:45 自宅を出発。
  予定は3日の市ノ枝のフラワ―フェスタが終わってから行こうと思っていたが、
  健司の試合があったため、健司を送って出かけることにした。健司には親として
  出来るだけのことはしてあげたいと思う。出来る範囲のことで。今健司は父親の
  存在が必要な時期ではないか。
7:00 白鳥インタ―着。中部縦貫道路を使う。
8:00 大野へ。福井から交差する旧地点。
8:30 白峰着。
9:00 別当出合着。車を駐車場ではなく道路側に止める。
9:10 出発。別当雪多し.
  中飯場側の沢へ着いた所から、右寄りの方向に
  降りて登った方がいいみたいである。特に雪のある5月白山では。
10:00 休憩。  パンとジュ―スで昼食。
12:30 甚ノ助着。  小屋の屋根が一部出ている程度であとは埋まっている。屋根で横に
  なっていると眠たくなり1時間程寝る。室堂へ登って南竜か、行かずに最初から
  南竜か。迷う。歩きながら決めることにする。
PM1:40 甚ノ助出発。
3:00 南竜へ着く。避難小屋がない。ないというより、近くに居た人に聞いたらそこだ
  と言って指差してくれたが、雪が中まで入りこんで泊まっている気配はない。登
  りで下山する人から昨日避難小屋で泊まったという人に聞いているからそんなは
  ずはないのにと思った。その人の勘違いか私の聞き間違いか。甚ノ助へ降りる以
  外ないと思った。もう一人の人に聞く。しらないと言う。その人は油坂方面へ歩
  きだしたかと思うと、「小屋の扉が空いている」とのたまう。うれしくなって見
  に行くと、雪に隠れて避難小屋があった。ラッキ―の一言である。ありがとうと
  いう気分である。もしその人が居なければ甚ノ助へ引き返していたか。ただ、よ
  やく南竜へ来たのでぐるりと廻って降りるつもりでいたが・・。ただ時間的に遅
  ければ、そんな余裕はなくすぐ降りていたかもしれない。
  南竜の小屋に泊まるのは何年ぶりなのか。卒業後すぐに小屋がなくなり行く機会
  がなくなりいつのまにか年月がたってしまった。夏にテントを子供たちと張った
  ことがあるのと会社の人と5月通ったぐらいである。やく25年は経ったという
  ことか。
  今日の宿泊者は私一人である。夕食は肉ゴハンとカップラ―メンとおかし。
5:00 寝る。
   
5日  
AM3:20 起床。早く起きて、記録を書く。南竜の朝を見ながら登りたくなり早く起きる。
  朝はカレ―ライス。おいしい。
  *気づいたこと。
  マッチを新しいのと取り替えておくこと。古いマッチをまだ使っていた。10
  年ぐらい前のを。
  電灯の電球の予備は必ず入れておくこと。
  ラジオを買っておくこと。たまに使って錆びないようにしておくこと。
5:10 南竜出発。
5:30 南竜から登ったところで休憩。別山を見ながらしばらく夢の中へ。油坂を見ると
  登ったトレ―スは見えず。小屋のすぐ裏手にトレ―スがあったから、みんなこの
  坂を避けているのであろう。
  南竜には小屋が5つあることを記憶しておく必要がある。
  トンビ岩を横切り山荘へ。
6:35 室堂山荘。水場へ。昨年の場所と違う。雪が多い時と少ない時では掘る水の場所
  が違うようである。山荘の利用者は、1階がほぼ埋まっているとのこと。素泊ま
  りで5100円とのこと。本荘の宿泊はやっていないようである。5月白山と言
  えばそこそこ経験している人が登る山だとの判断なのか。室堂を散策する。
  *気づいたこと。
  水場をよく掘ったものだ。フォ―クリフトでやったようだ。
  トイレが完備されている。
  避難小屋の扉確認する。南側の屋根。
  一番大きい小屋も確認する。ただここは5月しか空けていないと判断すべきで
  ある。
7:25 室堂出発。天気快晴、来て良かったと思うひと時である。会社、社会と抜けきれ
  なく時間が去って来たという思いである。こういう時間を自分のために持ちたい
  ものである。ゆっくり自然の中で生きてみたい。
  エコ―ラインよりから黒ボコ方面へ。けっこう西の方だという認識が必要。
7:35 黒ボコへ。黒ボコから急な斜面を下る。下りで年配の人が歩き方など教えてきた。
  素人に見えたのか、せっかく教えてきたので「はい、どうも」と会釈する。
8:15 甚ノ助へ。またひと寝入りする。
9:00 出発。
9:50 別当出合へ着。
   
  車でFUWVの山荘へ行きラドン湯へ入る。山荘では1年下の鷲田君夫婦が 入って
  きた。10分程で又出て行ったが、私は45年から48年ぐらいまでの活動記録を
  読んだ。なつかしくなってきた。47―48年はあまりワンゲルの活動ができなかっ
  たが、その間みんなは活動していたわけで、それぞれに真剣だったのであろう。
  そのころ私は他の面でいろいろと忙しかったが、それはそれで又仕方のないことだ
  といまでこそ思える。みんなまじめに生きてたということか。大学の山荘はこれか
  らも生きる糧としての使い方をしていきたいと思う大学時代とたかだか数年のこと
  であるが、けっこう後々にも影響を与えているものである。
  ありがとうの一言である。