2017年1月3日に大川中学校
の同窓会があった。2日に岐阜
を出て、その日は武雄温泉駅前
のビジネスホテルへ泊まり、3日
の朝、墓参りへ。

この日は4時間ぐらい私が育った
立川炭鉱で写真と散歩をする

左の写真はなんの特徴もない写真
に見えるが実は大切写真なのである
ここに何も見えていないが、炭鉱の
坑口があった場所なのである

標識があってもよさそうなのだが、
何もおいていない
この場所は特に関心のある人か
行政に携わっていた方ぐらいしか
わからないだろう
同時代の人間がこの世から去れば
誰にもわからないまま記憶から去って
いくことになる
あえて、この写真を撮ることにした

この場所は、炭鉱関係の方によると
石炭石ののこりを練炭などにするため
の作業をやっていた場所らしいが、正確
には、炭鉱従事者しかわからない
立川本坑がこの地にきたのが
昭和11年12月26日、この
日を記念して建てられた”山の
神”(我々は小さいころからそう
呼んでいた)。
私は、この日から15年後に生
まれていることになる
この時おやじは20歳である
まだ、武内にいたのだろうか 

これが、「立川本坑」の記念碑

この階段のある高いところまでは
上がった記憶はない
地面が安定してなかったので上がる
のをやめた
昔、この場所はロ−ムの坂と言われて
いた。平坦に見えるが当時はもっと坂
だった 小学生のころ、この場所で雪の
積もった日などスキ−をやっていた
もっとも我々がやっていたのは竹で作った
オモチャみたいなスキ−板である
正面にみえる家が19年間育った家である
住んでいた我が家が残っているのはうれ
しい限りである
ここは、炭鉱内に5つ程地区が分かれ
ていたがそのうちの”相生町”である
炭鉱の中でも家屋が残っているめずら
いい地区である

相生町をおくへ歩いていくと、小さな
湖?がある 小さいころの記憶はほ
とんどないがぼんやりそれがあったかな
というだけである
ここは、相生町と同じように高砂町も
炭鉱地区の中で残っている地域であ
る 当時の友人のN君が住んでいた
場所
 

ここは炭鉱への入口ともいえる市場
などが集まりにぎやかな場所であった
市場、飲み屋、薬屋、お菓子屋、衣料
品屋などが集結し炭鉱の中心でもあった

左の家は炭鉱時代、呉服など売って
いたヤナギ屋だったと思う
江口呉服店のコンペッチタ−でもあった







ここは、立川公民館で、近くに
幼稚園があった






この場所に立川幼稚園があった

立川公民館のバス停の標識
だが、バスが通っているようだ
以前はなかったのだが



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大川野駅の中に展示してある
もの










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大川野駅